TBSで始まったドラマ南極大陸を見て…
少なからず鮨文の歴史と関係があり、大粒の涙を流してしまいました。
第一次から第三次の隊長である永田 武先生は生前鮨文のご常連さんであり、
公私にわたりとてもお世話になった方であります。
きっかけはやはり南極観測です。越冬するために大量の食料を必要として、
築地にいらした先生と父が意気投合してお付き合いが始まりました。
私も若い頃には永田先生にすごく可愛がっていただき、
私が英語を話すきっかけになったのももちろん先生です。
先生と2人でアメリカに旅行した事は私の人生においてかけがえのない宝です!
先生には良く南極についての話をしていただきました。
初めて越冬隊が南極に到着した時、
誰よりも先に永田先生が大陸に降り立ち、
立ちしょんをした事は先生が酔うとしてくれた笑い話です。
タロとジロも子供の頃先生に連れられて鮨文にきました。
子どもだったけどやはり力強さは半端なかったそうです。
南極に行く前は私達家族も観測船に遊びに行きました。
出発前夜は晴海にある観測船まで鮨文の鮨を持って行って前夜祭をしたことも良い思い出です。
また、日本に帰って来ると、南極の石や氷をお土産に持って来ていただきました。
南極の氷で水割りを飲んで、父や当時の常連さん達はとっても嬉しそうだったのを思い出します。
それを見てニコニコしている永田先生の笑顔も忘れられません。
プチプチと弾ける氷の音は何百年以上も前の地球の音だったんですね〜。今思い出しても感慨深いです。
敗戦国だった日本がなぜ南極観測に参加出来たかという場面がドラマでは端折られていましたが、
やはりそれも永田先生の研究が国際的に認められたからに違いありません。
当時、永田先生は地球物理学の権威で世界中の大学で教鞭をとっておられました。
この事が世界で認められ敗戦国の日本に昭和基地の場所がもらえたのです。
晩年にはアメリカからその功績を称え、
南極の山の一つに『ながたマウンテン』と名前をつけてもらいました。
ドラマは先生との思い出を再び甦らせてくれる良いきっかけになりました。
次のお休みには久しぶりに先生のお墓参りに行ってみよう!